親切なんて自己満足で十分です
今回もまた、高校一年生の高校一年生なりの精神論を拙いながら熱弁させて頂きます。
最近は、自分がかなり、「人のために尽くしている」という自覚があります。
少々おごっているのではないかという可能性もありますが、それで十分だと思います。
人に親切をしたとき、それに及ぶ見返りがあることなんて滅多にありませんし、見返りがないことも多くあります。
しかし、それで満足です。
自分が「頼られている」という自覚を抱くだけで妙に責任感が湧いてきて助力したくなりますし、力添えできただけで幸福感に満たされます。
今、僕は「誰にも負けないほどの親切を行った」という自覚があり、心の片隅で見返りなんかを期待していたりします。
しかし、おそらく期待通り見返りがくることはありませんし、それが普通だと思います。
また、「親切を沢山行った自覚を持つ」ということは、とても…というほどではありませんが、いいことだと思います。
それでおごってしまってはいけませんが、自分を好きになれますし、それはいい気分ですのでこれからも続けようという気持ちになれます。
自分はそのような自覚を持ったまま高校まで進学してきたわけですが、そのような意識で損をしてしまったという覚えがありません。
まず何より期待され、それに応えることが好きですので。
人間は、もっと人に頼ってもいいんじゃないかと思います。
こんなしがない未熟な僕でも皆さんに助力できるのですから、他の方々はもっと心強いことでしょう。
僕の心境が語っているように、頼られると基本的には嬉しいものです。
どうぞ、友達方に悩み事を打ち明けてください。
きっと力になってくれます。
昔、僕はとても軽いものですが「いじめ」を受けていました。
それによりとても謙遜的で逐一気を遣ってしまう性格になってしまいました。
いじめは小学4年生になって完全に収まり、これまでの経験をもとにいじめられている子を「自然に」助ける側につくことができる正義感の強い人間へと成長しました。
いじめは絶対にあってはいけないことですが、僕はそれにより人の痛みのわかる、優しい人間になれました。
ちょっとの親切にきちんと感謝でき、友達が関わってくれることもとてもありがたいことだと思っています。
過度の意識は良くありませんが、このような謙遜的な性格に育ってよかったと思います。
人間というものはとても繊細です。
人それぞれですが、傷つきやすい人も多く存在します。
個人個人の良さ悪さをきちんと理解し、相手を思いやれる優しい人間が増えていくことを心から願っています。
ありがとうございました。